花林寺について
鹿児島県霧島市にある霧島神宮の別当寺です。もともとは天台宗の「華林寺」として開山されましたが、真言宗の兼慶法印以降は「花林寺」と称されるようになりました。
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花林寺の歴史
花林寺は霧島神宮の別當寺(神仏混交のあらわれとして神社に置かれた寺院)です。開山は霧島神宮と同等とみられています。
その霧島神宮は旧記によると、第29代欽明天皇(539~571)の御代に天台宗の慶胤(けいいん)上人が、高千穂峯と火常峯(現御鉢)との中間の背門丘(せおと)に、社殿を奉斎(つつしんでお祭りすること)されたのが創建、といわれています。
その後、霧島山の噴火で社殿などが焼失、そのたびに再興奉遷(御神体を移すこと)を繰り返し、1484年(文明16年)、真言宗の兼慶(けんけい)法印が藩主・島津忠昌公の命を受けて現在地に再興しました。
花林寺もこの霧島神宮に合わせて関山。その後、霧島神宮同様に変遷を繰り返しながら、現神宮の旧参道出入り口近くに落ち着きました。(現在は杉林となっている)
開山時は、天台宗で「華林寺」となっていましたが、兼慶法印以降、真言宗の「花林寺」となっています。
明治元年(1868年)、全国の神社の別當、社主、社僧の禁止令・神仏分離令が明治政府から出され、これがきっかけで廃寺となりましたが、その後、平成10年(1998年)11月、都城市との県境(霧島町田口)に兼慶法印以降数えて第37代となる小野静妙住職によって復興され、現在に至ります。
昭和6年発刊の郷土史「東襲山(現霧島町と国分市の一部)郷土史」によると、薩摩名勝志を参照に「花林寺は寺領540石。土地は山深く、水清く、天然の浄地で実に天下一品の霊場とし、西海第一の名刹であった」と紹介されています。
護 摩 祈 祷
高野山 〜祈りの聖地、高野山のこころ〜
1200年以上の歴史を誇る高野山は、弘法大師空海によって開かれた真言密教の聖地です。和歌山県の山中に広がるこの霊域は、世界遺産にも登録され、今なお多くの参詣者が祈りと静寂を求めて訪れる地です。
花林寺もまた、高野山真言宗の教えを受け継ぐ寺院として、日々、地域の人々の祈りと向き合っています。高野山の精神、すなわち「即身成仏(そくしんじょうぶつ)」の教えを現代に伝え、皆さまの心の安寧と成長を願って、修法と法話を行っております。
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